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OB・OG

(※記事及び情報は2016年のものです)

現役ディベーター 辻本さん

膳所高校ー京都大学

僕は、高校入学時から大学一回生の今年で、ディベート歴4年目になります。

ですが、高校生の時は、基本的にエビデンス管理やフローを取ることが僕の主な活動で、積極的に試合に出ることはなく、結局全国大会においてディベートをすることはできませんでした。

 高校卒業後は、京都大学に入学し、京都大学討論会(KUDES)に入って、
たちまち新人戦への準備が始まりました。

この準備期間は、僕にとっては、高校におけるディベート活動とはまったく違ったものでした。その理由は、まず人数が少なく、さらにそれまでディベート経験のなかった人と一緒にディベートをすることになったからです。

これは、反駁や立論、試合でのスピーチなども含めて、すべて自分が当事者になる、ということを意味していました。あまり経験のなかった第一、第二反駁をする機会が増え、立論や反駁も自分が考えたものが試合で使われる、といった、ディベーターとして当たり前だったはずのことを、僕は大学生になってようやく経験しました。多くの練習試合を経験することもでき、この間に自分が少しずつ成長していく実感を得られました。関西大会では僕のチームは準優勝、僕個人としてはベストスピーカー賞をいただきました。そして、新人戦本番でも、一敗こそしたものの、3戦中2度勝利し、そのうち一度は僕が作った否定側立論で勝つことができました。僕にとって、この新人戦の期間は、今までのディベート活動のなかで一番充実した時期に思われました。
 これを読んでいるディベーターの方の中には、かつての僕よりもずっと主体的に
ディベートをやっている方も多いでしょうし、逆にあまり試合には出ずにチームを支えている方もいらっしゃると思います。どちらにせよ、ディベートで得られる充足感は本物ですし、そこに年齢は関係ありません。今満足にディベートをできている方は、十分に満喫してください。そうでないという方も、それで腐らずに、自分から楽しんでいこうと思うようにしてください。これを読んでくださった方たちとディベートができることを、楽しみにしております。

現役ディベーター 久島さん

文徳高校ー東京大学

泣くほど悔しい。

そんな経験ありますか?

突然ですが、私はそんなことばかりでした。高2のときは自分の自爆とNew Argumentで地区大会2敗に終わり、最後の高3の年も全国大会には出たものの、0勝0票というこれ以下のない結果となりました。どちらも泣いた記憶があります。ディベートは競技である以上、必然的に勝者と敗者が生まれます。勝って嬉しい・負けて悔しい…しかし、それで終わりでしょうか?私は否だと訴えます。

 「泣くほど悔しい、あるいは嬉しい」、それほどの強い想いが生まれるのは、相応の努力をしてきた証だと思います。現に自分も、高校時代はまず4人集めるところからの始動でした。プレパしていてもわかる通り、ディベートは基本的に大変な競技です。それでもやり続けている皆さんの多くは、おそらく「相応の努力」を重ねてきたはずです。だからきっと、泣くほど悔しい・嬉しいという経験をつかむでしょう。私はそれを大切にしてほしいと思います。月並ですが、それが次へとつながり、より大きな実りを生むからです。
私の場合は、高校時代の敗北があったから、より厳密にいえばそのとき「泣くほど悔し」かったから、大学でもディベートを続けて、さらなる学びを得ています。そして今も敗北は重なり、その都度悔しいし、「次こそは」と意気込んで臨む、そんな繰り返しです。

試合に勝った・負けた。自分の納得できるパフォーマンスができた・できなかった。色々あるでしょう。いまディベートをやっているのも、議論を深めるのが楽しいから・相手を倒すのが爽快だから・友達に誘われていつの間に…、これまた色々あるはずです。色々でいいと思います。そのうえで、ディベートも、それ以外のこともですが、全力で、自分の満足のいく形で、精一杯取り組んでもらえればと思うのです。その先には、勝ち負けの結果にとどまらない、人生の宝とも成り得るものが待っているかもしれませんから。

最後に、みなさんと共に大学でもディベートできることを、一大学生ディベーターとして楽しみにしています。

負けないよ。

スタッフ 天野さん

岡山操山高校ー横浜国立大学

 

みなさんこんにちは。私は高校からディベートを始めました、県立岡山操山高等学校OBの天野風吾と申します。大学生になって、なかなか大会に出場するスケジュールが合わず、大学にもディベートサークルはなく、ディベートと関わる機会はありませんでした。そうした折にNADE関東甲信越支部の副支部長さんよりスタッフをしてみない?というお誘いをいただき、スタッフをするようになりました。

 大学1年生の時に初めてスタッフとして参加しました。そこで、ジャッジの方、スタッフの方と一緒に大会を作っていくという経験をし、私が高校生の時に活動していた舞台裏を見ることができ凄く充実した気分でした。その際に、より充実した大会運営をしたいという熱いお話を伺い、自分にできることをしてみよう、と強く感じました。

なかなかディベートと関わる機会がない、という大学生のあなたへ。NADE各支部はスタッフをしてくれる大学生を間口広く受け入れてくれています。もちろんそこから選手として活動の場を広げていくことも可能ですし、私もそうしたいなと考えています。

この記事を読んでくれている中学生・高校生のあなたへ。多くの人が思いを持って大会を運営しているんだ、ということが感じていただければ幸いです。そうして大学生になったら経験豊富で個性豊かなディベーターと交流する貴重な機会であり、自分が中学生または高校生の時に頑張っていたディベートの舞台裏を少しでも覗いてみるのはいかがでしょうか?

NADE大会運営委員 田中さん

女子聖学院—立教大学

 

高校生の時、友達に誘われてディベート部に入ってから5年が経ちました。
私は今、選手としてではなく、主にディベート大会の運営スタッフとして携わっています。高校2年生で部活を引退した時は、全国大会にも2度出場でき達成感があったため、しばらくはディベートに関わることはありませんでした。
そんな私がなぜ今になってディベートに再びかかわっているかというと、「ディベートの可能性」を感じたからです。
私にディベート界へ戻るきっかけを与えてくれたのは、私が今代表を務めているRoomの存在です。

2015年の夏前から、縁があってRoomのメンバーとして活動することになり、大学生向けのディベート大会を運営するようになりました。運営という立場に立つと、ディベーターを客観的に見ることができます。選手がジャッジにいかに主張を伝えるか試行錯誤する姿を見たとき、ディベートは日本を変えることができると感じたのです。少し大袈裟かもしれないけれど日本に欠けている「議論の文化」がここにはあると思いました。
現在ではディベート甲子園の運営スタッフとしても活動をはじめ、毎日ディベートのことを考えています。議論の内容をじっくり考えるのではなく、ディベートというものを客観的に捉え、その可能性に気づけたのは、「運営スタッフとして」かかわったからこそだと思います。

私が高校時代にディベートから学んだことや、今スタッフとしてかかわりながら吸収していることは、これから社会に出た時必ず役に立つと思います。
私はこれからもスタッフとしてディベートにかかわっていきます。選手はしないのかと訊ねられることもありますが、私にとっては当時のメンバーの存在が大きく、彼女たちとできないのであれば、選手として戻ることはおそらくないです(笑)。選手としての活動がひと段落したけれど、ディベートにはかかわっていたいという人は、私たちと一緒にスタッフをしましょう!その経験はみんなができることではないし、将来必ず役に立ちます。

 

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